日常 心情 思うままに書き連ねた らのブログ

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今日の予定
おはようございます、らのです
本日は期末週間前日ということで、今日の予定を立ててみようと思います
フリーダムがモットーの私にとって、予定を立ててその通りに行動するというのは時間を束縛されるような気がして気が進まないのですが、
そうでもしないと好き勝手やってしまうので勉強が捗らないので仕方がないです


化学
感想レポートを書こう 1時間
熱化学はまとめたやつ暗記すれば計算問題はモーマンタイ
電子軌道はCrとCuに気をつければあとは過去問通り 約2時間


生物
試験来週火曜
過去問通り行けば50点(私の合格点)余裕
フリーライティングのポイント抑えてあとは知識詰め込むだけ 1,2時間

独語
一番やばい 火曜の生物終わってガチでやっても死にそう
とりあえず副文と新出単語、今迄の文法復習などのチェック 2,3時間

医療科学
いい加減本読もうぜw まだ1/6って冗談キツい 試験明日
暇なときにでも

英語
試験範囲だって言われたところの内容は確認
ぶっちゃけあれは今まで積み上げてきたもので全て決まるから勉強してもしょうがない 1時間

倫理
試験問題はわかってるから、解答つくって暗記 1,2時間



数学(線形代数)
線形写像さえマスターすればあとは大丈夫なのでは
木曜日と金曜日に地理と同時並行で片付けるので重点を置いてやる必要なし 1時間


数学(微積)
試験が7/27なので後で
放置


物理
再来週の火曜で一教科なので日曜月曜費やして問題なし 放置




地理
ノートみて適当に ぶっちゃけ余裕あればやる科目

心理
微積と同じくスルー


最高で11時間ってやべー 昨日と一昨日遊んだのがバカだった

というわけでガチでやってきます
もしかしたらこの続きに生物メモ入るかも
倫理解答 下書き
Q医療における自己決定はどこまで認められるか

今日医療の分野において4つの医の法倫理原則が守られているが、この中の自立尊重原則に準じて医療の現場では患者の自己決定が尊重されるべきであるとしている。しかし、その自己決定によって他人に危害を加える危険が潜んでいるならば、その自己決定は認めるべきではないだろう。
不妊症に悩む女性が子を持ちたいと願い人工授精を行うことや代理出産を望むこと、ヒトの胚を利用した胚性幹細胞の培養によって機能不全となった臓器の機能を元通りにできること、そして治療不可能な病によって苦しんでいる患者が望む安楽死、この全ては当事者の自己決定があるならば自立尊重原則や「患者に利益をもたらせ」という善行原則の立場から容認されるべきである。しかしながらそれぞれ、子の福祉の問題、他人の生命の利用又は人間の尊厳という問題、そして人を救うべき医者が患者の死期を故意に早める倫理的問題など、人間の尊厳を擁護する目的で行われる治療が、同時の他方で人間を道具化したり人間の生命を絶ったりするという、人間の尊厳又は福祉を脅かす結果となり、生命の始まりと終わりにおける個人の自己決定が社会を脅かす危険因子になりうる。
以上のことより、個人の自己決定は時として制限することが必要になってきているといえるであろう。

Q誰が福祉に関する判断を下すべきか

人間らしく生きている状態を福祉とすると、福祉とは自分らしく生きるということであり、それは自分の価値観に基づいて決定されるものであるが故に福祉は本人が判断するべきものである。
人間らしく生きるとは、自分が納得しなければそれは幸福ではないという自己意識からの観点や、自分で考え行動しないことは自分らしくないという知的な能力からみた、「人格」という理性と反省能力とを持つ知的な存在としての人間の在り方により定義されるものである。このことから、福祉もまた個人の判断に任せるのが最良であると思われる。しかし、万が一個人が何らかの理由で福祉を判断できないような状況に陥ってしまった場合はどのようにするべきか。
この問題の解決に重要な鍵は「尊厳」という言葉である。人は生きる上で最低限の生活を保障されると同時に人間としての尊厳もまた保障されるべきである。即ち、個人にとって最低限の生活を保障すると同時に、不幸な境遇に陥った場合には最大限の便益を図りその状況から助け出そうとすることが尊厳を守ることにつながる。個人が福祉に関する判断を下せないのならば、個人の思想を完璧に真似ることは不可能である。故に、客観的に見て個人が生きる上で最良の道を選択することが社会の役目であると結論付ける。

Q現代世代は将来世代を配慮する義務があるのか

世代間倫理について様々な意見が提唱されてきたが、現代世代は将来世代に対して配慮するべきであると私は考える。
第一に、将来世代の生活環境を整えるという義務が我々にはあるということだ。キャラハンによれば、世代間倫理は「恩」という言葉を使って説明することができ、過去の世代が遺してくれた環境に対して応えることはできなくても、代わりに次の世代にそれを残していくことで権利と義務の相互性が保証される。例えまだ生まれていない世代であっても生まれてくるということは確定的であるのだから、その世代を他者とみなすことで他者に対してできる限りの恩恵を与えるべきであるという善行原則に基づき、次世代に配慮する義務があるとであろう。
第二に、次世代に配慮することで現世代の在り方も良くなるという点である。自分たちの生活のためにと環境破壊又はそれに準ずる行為を繰り返していては、将来世代だけではなく今私たちが生きている世代にも影響があるということである。森林破壊により元々森林に生息していた動植物たちが被害を受けることはこれの典型的な例であろう。元を辿れば人間も他の動植物と同じ祖先から生まれ、たまたま突然変異によって類まれなる頭脳と知識を得る能力を持ち合わせることができたことにより、人間はここまで発展することができたのである。運よく才能に恵まれてきたことを盾に、自分本位に環境破壊を繰り返して他者に迷惑をかけるのは世代間倫理のみならず、人間の尊厳という観点から見ても許される行為ではないだろう。
以上のことを踏まえ、将来世代に配慮するということは、将来世代だけでなく私たちの世代にとっても有用であると考察する。

Q徳倫理学は現代においていかなる意義を持ちうるのか。

徳とは人それぞれであり完全なる定義を提唱するのは難しいが、アリストテレス的徳倫理学は現代における徳倫理学の重要な基盤となっている。
まず、徳とは人の性格に起因するものであり、善い行為そのものに宿るものではない。即ち、例え世間一般から見た「善い行為」を行ったとしてもその動機が不純であるならばその人は徳ある人とはいえない。徳ある行動というものは徳ある人がなす行為であるとアリストテレスは説いている。そして徳ある人とは徳ある行為をなす人であるとも言っている。
例えば、善い馬とはよく走る馬であり、善いナイフとはよく切れるナイフであるが、では善い人間とは何かという問題を考える際に重要になるのは、「人間固有の目的を最大限に実現するよう働く場合」である。これを考慮して考えると、善い人間とは理性に関わる行動をとる人のことを指し、これを徳に即した活動と呼び、これこそ人間が目指すべき最高善、即ち幸福に他ならないと考えた。
価値観が多様化した現代における徳倫理学はいまだ発展途上であるといえる。さらに徳とは一見して統一性があるように見えて実は人間一人ひとりによって多様性を見せる複雑極まりないものである。そういった二面性にも拘らず徳倫理学の基盤を据えようとしたところに、アリストテレス的徳倫理学の真の意義があると考えられる。
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